併せた両手に、つめが食い込む。
 彼を待つのは厭だ。嫌いだ。

Call * God

 酷く幼い記憶が蘇る。
 実を言うと、彼とであったその瞬間の記憶というのはそんなに鮮明ではないのだ。あの頃、桃が勝手に拾い集めてきてしまった子供の数は両手では足りなかった。
 今考えると困り者だが、ばーばは絶対に叱らずに、お友達が増えたのねと笑って受け入れてくれた。
 はっきりと、鮮明に彼を意識したのは、とある事件がきっかけであった。

 色あせたセピア色の記憶にも関わらず、どぼん、といった水の音を、今だ鮮明に覚えている。
 あれは、川瀬に5、6人で遊びに行った時であったろうか。
 泳ぎにはそれなりに自信があった。よくコケたりはするが、幼い時からそれなりの身体能力を備えていたつもりだ。
 だからこそ、びきっという感触と共に足が動かなくなった時、どうしようもない恐怖を感じた。水中で足をつったのだ。
 泳ぐという目的も忘れもがくと、口の中に、がぼりと水が入った。おぼれると思った。

「た、すけて」

 助けを求めようとすると、容赦なく水が入る。川の水があんなにも酷く不味く感じられたのは、後にも先にもこのときだけだ。
 水面に沈んだりあがったりで、視界は揺らぎっぱなしである。それでも、視界の端が駆け出す友を捕らえていた。その時は考える余裕などまるでなかったが、おそらく大人を呼びに行こうとしたのだろう。
 誰か助けて、早く助けて。水面でげほごほと咳き込みながらもがきつづけた。だれか、だれか、だれか。

 どぼん

 音が聞えた。半分以上真っ白になっていた頭が、小さな小さな手を認識した。縋ろうと手を伸ばすが、僅か足りない。流れが少し速くなった。
 もうやだ、あたし、こんなところで死んじゃうのかなあ。にじんだ涙も、川に流れた。

「桃!」

 幼い声が響き渡った。
 幼いくせに。いつもつるんでいたメンバーの、誰よりも幼かったくせに。あたしより、ずーっと背も低いくせに。
 誰よりも先に、彼が私に手を差し伸べてくれた。
 途端、何故だかわからないけれども、生きなければと思った。

 彼の小さな手に必死に縋りついた。水を飲みすぎた体が、空気を求めた。
 これは死神になってから痛感したことだが、パニックに陥った人間を助けるには、そうでない場合の何倍もの体力を消耗するものだ。
 それなのに、陸地近くで慌てて手を伸ばしてくれた友人に引き上げられ、げほごほと咽ているあたしの背中を彼は撫でてくれた。

「大丈夫か」

 そういいながら肩で息をしていた彼の、濡れた真っ直ぐな瞳が今もまだこびりついている。



 ちらりと横目で手術室を見た。手術中のランプが点滅している。この温い赤色が、どうしようもなく胸を突く。

 昔から変わらない。自分の事は二の次にする、彼の最も尊敬すべきところでありながら、最も…嫌いなところ。
 その気性故に彼が腹のどまんなかに風穴をあけてきた、なんてことは、これが始めてではない。

 情けなくも、両手の指をそっと絡ませ、そして額に押し当てた。
 無信仰者が無神論者であるとは一概には言えないが、信仰のもたない自分が調子良く願う事が酷く恥じるべきことであり、情けのないことであるとは思っている。

 それでも、私には何も出来ない。
 彼がしてくれたように、飛び込むことも、手を差し伸べることも、今の私には出来はしない。

 力の入りすぎた爪が皮膚を抉った。

 今、私に出来る事は、ただ祈るだけだから。
 だから、それならば、私は精一杯祈ろう。


 神様、神様
 彼を助けてくださいとは祈りません
 それでもどうか
 私の手が、想いが

 彼に伝わりますように











::後書::

遅れまくりました。本当に申し訳ないです……orz
ええと…はい、言い訳は別所に置いておきますね。
以下、日雛一人称でないものが続きます。
自己満足です、よろしければこちらも併せてお持ち帰りくだされば…
う、嬉しいかな…なんて…(モジモジ)
お待たせしてしまったこと、心よりお詫び申し上げますっ!

*千晴様のみお持ち返り可能*








「はじめまして」

 真っ白い破壊的な光の中、手は差し伸べられた。
 鮮烈なデジャヴ。

「…桃?」

 逆光のせいで顔の判別が出来ない彼女を、目を細めて見つめた。

「どこからきたの?」

 ふと、それがデジャヴではなく記憶であることに気付いた。
 光が僅かに緩まり、影の中彼女の顔立ちがうっすらと浮かんできた。
 幼き頃の、彼女が。

「あたし桃、よろしくね!」

 精一杯指を開いて差し伸べられたその手を取ろうと、こちらも手を伸ばす。
 指が触れるその瞬間、眩しい、と思った。



 ざぁっと唐突に真っ白い世界から景色が浮かび上がる。
 少しくすんだ、天井。

 ぴっ、ぴっ、ぴっ

 間の抜けた機会音。其処が病室であつと気付くのに、一分近くかかった。
 ああそうか、なんだ、生きていたのか。安堵とともに、少しだけ残念だなと思う。あの綺麗な世界に浸るのも、悪くは無かった。

 立て付けが悪くいつだって大音層を鳴らす筈の襖が、物静かに開いた。
 視点が定まりにくい瞳をそちらにやる。

 花束を抱えて、俯いた彼女。あ、と思うと、彼女の顔が上がった。ただでさえ大きい目が、更に大きく見開かれる。
 同時に、ぼとりと花束が落ちる。その衝撃で、赤い花びらが三枚散る。勿体無い。

「ひっ…」

 勢い良く息を吸い込んで、雛森は咽た。大粒の涙がぼろぼろとものすごい勢いで零れ落ちていく。
 一連の動作があまりにも素早く行われたせいで、頭が着いていかない。言わなきゃ、と思ってこぼれた言葉は情けなかった。

「ば、莫っ迦、泣くなって!」

 そんな台詞もお構いなしに雛森はおぼつかない足取りでベッドへと歩を進めた。
 倒れこむようにベッドの横でしゃがみこみ、彼の手を取る。強く、ぎゅっと。

「ひ、がや、くっ…はっ、う、よか、よかった…っ」

 激しい嗚咽の中から、彼女の紡ぎたい言葉を拾うことは至難の業だった。
 当てられた額が熱かった。

 ああ、そうか。
 妙な納得を覚えながら、日番谷は体を起した。

「大丈夫?いいよ、横になってて」

 雛森は慌てて押し戻そうとするが、日番谷は首を振った。
 一瞬めまいを覚えたが、たいしたものではなかった。

「看護師さん呼ばないと、ね」

 震えた手で涙を拭いながらナースコールに手を伸ばそうとする彼女の腕を、日番谷が止めた。
 瞬間、時間が止まる。

「………ありがと」

 え?と雛森の唇が動いた。
 硬直した腕から手を離す。

「煩かったよ、ばーか。」

 開放されたはずの腕は微動だにもしない。
 一体何のことかわからずに見開かれた瞳を、日番谷は真っ直ぐに見返し、そして笑った。
 ぱち、ぱち、ぱち、と三回瞬きされた大きな目。

「ひ」
「わかんなくていーんだよ。」

 かき消された呼びかけの口をゆっくりと閉じる。

「…うん。」

 よく、わからないけど、それで良いような気がした。

 外では、静かに静かに、初雪が降っている。




 かみさま
 かみさま

 あたしの声は、想いは、祈りは。

 彼にとどきましたか?