「何だよ この手?」

 一生懸命に日番谷を押し返そうとする雛森の手を握り 口の端をつり上げながら日番谷は言った。



 転がる酒瓶の数を数えれば 人間が素面でいられる量ではないだろう。
 急性アルコール中毒で死にはしないだろうかと不安になる程だ。普段酒を飲まない日番谷がこれだけ飲むのは珍しいの次元では無い。何十年ぶりぐらいではないだろうか。

「ひ…日番谷君?」
「あ?」
「ひ…一人で飲んでたの?」

 賢明に話を逸らそうとしているのがまるわかりだ。酔っている筈の彼よりも 雛森の方が上手く呂律が回っていなかった。
 ほんの少し赤みを帯びたような日番谷は 確かに外から見れば素面に見えないこともない。

「………。」

 日番谷はほんの少し考える仕草をしてから 転がる酒瓶の中身の あるものを掴み 酌に入れもせず直接唇を付けて口に含んだ。

「ひ 日番谷君っ!駄目だよ 飲み過…」

 柔らかいものが触れる感触
 流し込まれる辛い酒

 つぅ と一筋日番谷の口から酒がこぼれ落ちる。
 何が起きたのか理解出来ず 雛森は自分の唇を両手で覆った。
 ペロリと 口から溢れた其れを舐めとる仕草は乱れた胸元と重なって やけに色っぽく映る。
 …なんて男の人に言っても嬉しくないのだろうか…?

「これで2人で飲んだ事になんだろ?」

「え…と その…え… ふ ふぇぇぇっ?!」

 頭がついていけずに 目尻に涙が浮かぶ。
 途端に日番谷が辛そうな顔になる。雛森は脳の片隅でこの表情の変わり様はやはり 酔っ払い特有のものだと思った。

 だって

 こんな切ない顔 日番谷君はしないもん。

「嫌だったか…?」
「ふぇっ?!あ いや そんなんじゃなくて…」

 またころりと表情が変わる。安心したような表情に。少しじゃれるようにして首筋に顔を埋めてくる。

  …猫みたい。

 ほんの少しだけそう思ったが きっと言葉に出したら怒るだろう。そう思って声に出すのは押しとどめた。

「ふわっ…」

 唐突に伸びてきた手に反応出来ずに 彼の胸板に顔を埋めるような格好になった。

「ひ ひ 日番谷く…っ!」

   しゅるり

 髪のお団子を結んでいた紐が外れる音がする。
 ぱさりと髪が方に落ちる。けれども 日番谷の両手は塞がっている筈で。
 どうやって紐を外したのか?その疑問は考える間もなく解消された。

「こっちの方が 好き。」

 そう言った日番谷の口に しっかりと紐はくわえられていたから。

「ひっ 日番谷君っ!」
 悲鳴気味な上ずった声で 無理に心音を隠した。

  知らない

  こんな 日番谷君

「ほら やっぱりこっちの方が可愛いぜ?」

 まるで心臓が耳元にあるのかと思うほど 煩く鳴り続ける血液を送り出す音に 目の前がぐるぐると回る。

「なぁ」

 どくん どくん どくん どくん
 それは徐々に早く 徐々に大きくなってゆく。

「桃?」

  どうしよう

 何を「どうしよう」なのだろうか。そう自問しても返事は返せるわけもなく やはり呪文のように脳内でどうしようどうしよう と繰り返した。くらりとなって 思わず強く目を瞑った。

「何ビビってんだよ?」

 まぶたの真上の位置に声が聞こえて 再び目を開く。
 視界のまん前にある唇から 思わず瞳を逸らす。

「捕って喰ったりしねぇっての。…それとも して欲しいのか…?」

 いつもより低い声にぞくりとする。
 何か世界を戻すものを欲して周りを見ると 地獄蝶がこちらに向かって飛んでくるのがわかった。

  助かった

 そう思いながら地獄蝶からの伝令を受け取ろうとした瞬間 日番谷の右手の親指と人差し指で顎を捕まれ ぐいと視線を戻される。当の本人は雛森を見ずに地獄蝶に向かって 彼女が静止するまもなく言葉を発する。


「取り込み中だ 邪魔すんじゃねぇ。」
 その返信の伝令を受けて 其れを伝える為に地獄蝶は方向転換をし帰ってゆく。それを呆然と見送った後 ふつふつと雛森の中から怒りが沸き上がってきた。

  誰からの伝令かも分からないのに―…っ!


「ひっ 日番谷君 いい加減怒るよっ!」


 その瞬間 もう一度口を塞がれる。
 肩の力が急に抜けて 怒る気が無くなった。前から知っていた事ではあったが 本当に敵わない。


  だって あまりにも

  幸せそうな顔 してるんだもん 日番谷君。


 微笑みのまま 耳元でささやかれる決定打撃に頬を染めてしまう自分に さっきのお酒が回ってきたのかなと言い訳をした。


お前は俺だけを見てりゃいいんだよ

   
 その言葉だけは確実に
 酔いがどうとかじゃなくて。



  嘘じゃ なくて。


 反則だよ と 雛森は小さく呟いた。