すいーと、とらっぷ。
「怒んなよ…。」
振り向かない彼女の背中に、日番谷は溜息気味にそう声をかけた。
それでもお団子頭は振り返らない。どう考えても自分に非があるゆえに、日番谷は強く呼び止めることが出来なかった。
ゆらゆら揺れているそのお団子頭は、一定距離を保ったまま前に進んでゆく。
「今年だけで、何度目?」
ツン、とした声で、振り返る事なく雛森は聞いた。解りきってはいるものの、何を、と尋ねそうになって言葉を飲み込んだ。
ドタキャンの回数を聞いているのだ。ちなみに、最後にキャンセルしたのは今日の桜の花見だ。
勿論、日番谷本人だって嬉々としてキャンセルをしているわけではない。隊務に追われ、花などゆっくり見る余裕などなかったなら尚更だ。
それなりに楽しみにしていたものが、急な会議でキャンセル。最早パターン化しているのが哀しいところである。
「…7回目。」
わずかばかり自信のなさそうな声で日番谷は返事を返した。あまりに回数が多すぎて、最早何がどうだったかなど思い出せない。
その当てずっぽうの数字が合っていることを祈る。
「…残念、8回目でした。」
予想通りの外れ宣言に、日番谷は何か言い返す言葉を捜したが、適当な単語を見つける事は出来なかった。
きっとそんな情けない気配を背中で感じ取ったのだろう、はあ、と雛森は溜息をついた。そしてわざとらしく、怒ってますよという声で呟く。
「別にいーですけど。」
彼だって好き好んで仕事に追われているわけではないと、雛森も解っていた。
この仕事をしている限り、仕方のないこと。そうは思っても、増え続けるスケジュール帳に書き込まれる果されない約束が切なくて仕方ないのだ。
折角作ったのに、またお弁当を無駄にしてしまった。
日番谷は困ったように片眉をあげた。彼が困っていることを背中に感じながらも、雛森はそのまま歩を進めた。とりあえずは手の中の書類を届けなければいけない。
幾つかの角を曲がったとき、雛森を追って歩いていたはずの日番谷の気配が消えたことに雛森は気がついた。
そうなる事を解っていたのに、ちくんと心が痛む。誠意を持っているならば、最後の最後までついてきたっていいじゃないか、なんて独り善がりな考をする。
考えてみれば、デートをキャンセルするぐらい隊務に追われているのだから、こうやって会話をすることすら厳しかった筈である。
しかし、そんな理由では雛森の心のうちにあるもやもやは晴れない。
もういい、日番谷君なんて知らない。周りの人に怪しまれない程度に頬を膨らませて、雛森はずんずんと歩いてゆく。足が心なしか重いのも、気のせいにする。
「失礼します」
どことなく怒りを漂わせたままの声で雛森は三番隊の事務室の扉を開けた。
奥で作業していたイヅルが、ひょいと顔を上げる。やはり、隊服が黒である限り、色素の薄い色は見つけやすい。
「あのね、この間の書類なんだけど、」
「ああ、ごめん、そこに置いておいて貰えるかな?」
言葉にかぶせるようにしてイヅルは答えた。いつもとの反応の違いにきょとんとしていると、雛森は彼の酷いクマに気がついた。
相当酷い。そのくせ、隊長の姿が見えないのは、つまりはそういう事なのだろう。
「…うん、頑張ってね。」
思わずかけた労いの言葉に、イヅルはぎょっとした顔をしてから照れくさそうに笑った。いつでも彼は素直だ、と雛森は思った。素直に喜んでくれるし、何事にも誠心誠意だ。
彼が日番谷の立場だったら、一体どんな風に謝ってくるだろうか。そう思案しかけて、雛森はすぐに止めた。
馬鹿馬鹿しい、意味のない行為だ。気にしてなどいない。そう言い聞かせるものの、やはり足は仕事に戻ろうとするのを拒否する。
やけに忙しい十番隊には申し訳無い程に、五番隊には最近仕事がない。何より元々非番だ。実をいうと、キャンセルの旨を聞いて、ついヤケクソで隊服を着込んで部屋を飛び出してしまっただけなのだ。幾分彼への嫌味にもなるだろうと、内心思いながらも。
まあ、少しぐらい良いよね、と言い訳紛いのことを考え、散歩と称して意味もなく瀞霊廷内をぐるぐると歩き回った。
しかし、モヤモヤしたものはそれでも消える事はなかった。到る処であらゆる人に出会ったのに、記憶がいまいちはっきりしない。
どれもこれも、全て彼が悪いのだ。
不理尽な怒りをぶつけながら歩きつづけて、結局仕事の席に戻ったときは一刻半も時間は過ぎていた。
冷静でない証拠だろう、机の上で明らかに一際異彩を放っている箱を意識の中にいれるのに、やけに時間がかかった。
桜の枝が添えられている黒い箱に、何の意味があるのか。一体此れは何だろうと雛森は小首を傾げる。
全く持って記憶にない。机の上にあるということは、開いても構わないだろうと判断して、雛森は箱を開けた。
現れたのは、おはぎ。
ぽっ、と急に心が温まった。あたしはお弁当もっていくから、日番谷君は甘いものを選んできてね。そう伝えたのは幾日前だったろうか。
彼女の自室に戻れば、甘いものに合わせようと少し苦めに煎れたお茶が水筒に入りっぱなしで机の上に放置されているはずだ。
くやしい。そう雛森は思った。くやしい、くやしい、くやしい。
そんな台詞とは正反対に、笑みが零れる。
不器用な人だと、雛森は改めて思った。
手がベトベトになってしまうことを知りながら、雛森はそのひとつを摘みあげ口に押し込んだ。これはきっと、あの三番街の和菓子屋のものだろう、などとアタリをつける。
今回だけ。今回だけと、何度自分に言い訳しただろうか。
あたしだけが逃れられない、あたしだけが引っかかってあげる。そう思えば、気分は上々である。
甘い甘い、アナタの不器用な罠に。
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