世界が泣いた日
世界の為に泣いた君の為に
僕は泣いた。
誰も僕のためなどに、涙を流さなくていいように。
哀しみの連鎖が、僕で終わるように、と。
甘く香る南京錠に、ぬるいその鍵を滑り込まして首輪を留めて。
君が僕のものでなくていいから
僕を、君のものにしてください。
それ以上は要らないから
それ以上は要らないから。
僕が君のものという印が、二度と消え去らぬように。
嗚呼、悲しい嗚咽が聞こえるよ
嗚呼、悲しい唄が聞こえるよ
冷たい風が頬を刺す。隊舎の屋根の上は、思ったよりも風が強かった。
漆黒の隊服を身に纏ったままだと、夜の闇に紛れて自分の存在が薄れる気がして、どことなく好きだった。
自己管理が最も大切とされるこの社会の中で、こんな丑三つ時に起きているものなど、滅多に居ない。
世界に一人きりの、闇に紛れてしまうように色の無い自分。
酒を口に流し込む。ピリピリとするその痛みが、やけに喉に絡みついた。
星一つない夜空に、闇に穴をあけたかのような月だけがぽっかりと浮かんでいた。
大それたことは何一つ考えていなかった。ただ、一人になりたいと思った。
目に飛び込んだ人影に、雛森は思わず足を止めた。
夜中まで書類に追われ、こんな時間まで一人起きてしまい、まるでお化けでも出そうだと思いながら小走りに廊下を歩いていたときだった。
月光にタテガミを揺らす一匹の狼の、その神々しさに思わず目を逸らした。
幾ら遠くの隊舎の屋根であろうとも、幾ら彼が羽織を身にまとっていなくとも、間違うことはなかった。
誰よりも美しく強いその狼の姿を間違うことなど、彼女には出来なかった。
表情はみえはしなかったが、彼女の方が先にきづいたということは、彼は未だこちらに気付いていないという事とイコールだった。
徐々に、ゆっくりと霊圧を消して、身を潜める。
すぐに走り去ってしまいたかった。それでも、影が縫いつけられているかのようにその場から動くことは出来なかった。
その狼を、私が傷つけた。
そんな罪悪感ばかりが彼女を責め立てた。
不可侵なこの神々しき狼を。
溢れる感情も、なけなしの勇気もすべて振り絞り出た声は、自分の耳にも届かないような声だった。
それでも確かに唇は動いた。
ごめんなさいと、ただそれだけ。
小鳥の涙の落ちる音は
狼の耳には届かなかった。
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