予報外れ

「雨が、降る。…と、思う。」

 唐突な隊長の言葉に、乱菊はしばし呆然と彼の顔を眺めてしまった。
 彼はすこしバツの悪そうな顔をして、目を逸らした。

「こんなに晴れてるのに?」

 思わず窓に目をやる。痛いぐらいの晴天。

「…気がしただけだ、気にするな。」

 言葉を濁す自分の隊長がなんだかかわいらしくて、思わず微笑む。

「イエ、ありがとうございます。折りたたみ持ってきます。」

 帰りは夕方であるし、用心することに越したこともないだろうと乱菊は掛けてある折りたたみ傘を手にとって鞄に放り込んだ。
 静かにそれを見ていた日番谷は、小さく眉を顰めて呟いた。

「…外れてもしらねぇぞ。」

「なにいってるんですか、天気予報なんて外れるもんです。」

 そういい残して、部屋を出たときは、颯爽とした青空だった。

 のに。

「あちゃあ…。」

 乱菊は空を見上げながら溜息をついた。バケツをひっくり返したような雨、雨、雨。
 もうやんなっちゃうわ。そう呟いて、乱菊は折りたたみ傘を勢い良く開いた。



 執務室で空を横目で見上げたいた日番谷は、そっと書類に目線を戻した。
 生活技術で予報をするのは、雛森の仕事だった。時々突拍子もなく予報するのは、彼の仕事。

 何があるわけでもなかった。ただ、ふと、ああ降るなと思うのだ。
 便利だったし、特に問題無く思っている。魂が、気候に対する何かを持っているのかもしれない。

「日番谷君。」

 沈み込もうとした思考を急に引き上げられ、驚いて日番谷は顔を上げた。
 びしょ濡れの彼女が其処に立っていた。

「どうした?」

 ぷるぷると小動物のように体を降ってから、雛森はこちらに向き直ってにぱっと笑った。

「ね、雨、強くなるかな?」

 その言葉の真意を図り損ねたが、日番谷は素直に答えた。

「多分な。」

 そう言うと、嬉しそうに雛森は笑って手を伸ばしてきた。

「じゃ、ちょっとつきあって。」

 一体何が「じゃあ」なのか、と疑問が頭を掠めたが、小首を傾げるだけにとどめた。
 立ち上がると、あわただしく雛森は部屋の外に出て、はやくうと催促をした。一体何処に行く気なのか。

「おい、雛森、傘…。」

「いらない!」

 ぐい、と日番谷の手を引っ張ると、ぬかるんだ土を気にもせずに彼女は走り出した。
 びちゃ、びちゃと音をたてて泥が跳ね、みるみるうちに死覇装の色が変わってゆく。

「おい、何処行くんだよ」

 こけそうになりながら彼女にひかれるままに走りながら、日番谷は呆れたように声を上げた。

「いーから!」

 雛森は振り返らずに叫ぶ。徐々に雨脚は強くなっていく。
 器用に木の下をとおり、出来る限り濡れないようにと幾分走ったろうか。小さな休憩所を兼ねる小屋に、逃げ込むように転がり込んだ。
 あたまのてっぺんから爪先まで、見事な水浸しである。身体が重い。

 雛森は笑いながら裾を絞り、ベンチに座った。

「ほんとに、雨つよくなったね。」

 これまでにないほど上機嫌に空を見上げ、ふふっと雛森はまた一人笑った。

「そうだな。」

 日番谷は溜息混じりに髪を掻き上げる。

「で、この小屋に何があるんだよ。」

 一向に本題に向かわない雛森を催促すると、彼女はこちらを向いて、満面の笑顔で答えた。

「なんにも!」


………は?


 漏れかかったその言葉を必死で飲み込み、目で呆れていることを伝えようとできうる限りの努力をした。
 その努力も届かなかったのか。彼女は変わらずにこにこと笑いながら、唐突に言葉を続けた。

「こんだけ雨脚強かったら、」

 こてん、と彼女の頭が日番谷の肩の上に乗った。



「帰れないでしょ?」



 さらりとした髪の毛に、ぞくりとする。
 不甲斐なく顔が赤らむのを彼は感じた。

「あ、あのなぁ」

 上ずらないように気をつけていたのに、やはり少しだけいつもよりも高い声がでた。
 ご機嫌そうに雛森はふふんと鼻歌を歌った。

「今日だけ。…今日だけだよ。」

 眉間に皺を寄せ、少し、ほんの少しだけ悩んでから、日番谷は口を開いた。

「本当に?」

 その予想外の台詞に、雛森は目をまんまるにして日番谷を見上げた。ちょっと良い気分だと思うあたり、性格が悪い。

「ほんとうに、今日だけか?」

 日番谷はわざとらしくもう一度繰り返す。じっと目を見つめて。
 雛森はかあっと頬を染めると、其れを隠すように俯いた。

「………今月、は。」

 弱気な台詞に、日番谷はおもわずぷっと吹き出した。目を細めて笑う。

「なんだそれ?」

 情けなさそうな顔をしながら、雛森はむうと膨れた。

「意地悪…。」

「あれ?知らなかったか?」

 当然のように、にやりと笑う彼に、いーえ、と雛森は唇をつんと尖らした。
 再び頭を彼の肩へと戻すと、微笑んでいるのが空気で解った。心地よい沈黙が、静かに流れる。

「久しぶりだねえ。」

 ふふっと笑うその声は、久しぶりに聞く落ち着いた声だった。
 ああそういえば、こんなにもあわただしい日々を送っていたのだな、と改めて感じる。

「こんなに近いのも、二人きりなのも。」

 少し照れくさそうに言う雛森の言葉を、日番谷が続けた。

「お前の音が、聞えるのも。」

 とくん、とくん。
 早足ではない音が、優しかった。
 ざあ、ざあ、ざあ。
 先ほどから安定しはじめた音が、二人の世界を孤立させる。

「雨、やまなきゃいいのにね。」

 ざあ、ざあ、ざあ。

「……ん。」

 雨音にかき消されそうな小さな声で、日番谷は返事を返した。

 流されていく
 いろいろなもの全部

 満たされていく
 器から溢れるほどに。

「あったかい。」

 日番谷の腕を抱きしめるようにして、雛森は猫のように頬を摺り寄せた。

「あ?」

 唐突なその行動がこそばくて、日番谷は少し無理な角度まで首を捻った。
 返事のかわりに、かすかな寝息が響いた。最早お決まりと化したそれに面くらい、そして仕方なしに溜息をついた。

「風邪ひいてもしらねーぞ。」


 雨があがるまで
 雨があがるまで


 雨は僅かに小雨になりつつあるが、雛森を起す事はしない。
 待ち受けているであろう松本の叱責も、今日は甘んじて受けてやろう。





 だって、きっと明日は晴れだから。















二周年記念作品。配布期間終了。