日が 傾いた頃。
 夕日が街を紅く照らし出す中 寂れた無人の駅で雛森は マフラーを巻いて手袋をして そして先程買ったばかりの缶コーヒー二本を抱き抱えるようにして人を待った。
 ブラックコーヒーと カフェ・オ・レだ。あんな苦いものが飲めるなんて不思議だ と いつも雛森は思う。彼はブラックコーヒーですらも 缶は甘い甘いと文句を言うのだからもっと不思議だ。
 これで3本電車を見送った。

 もうすぐ かなぁ。

 そんな事を考えながら そっと缶に頬を寄せた。少し熱過ぎて ひゃっと一人声を上げて直ぐに離した。ひりひりとした頬を手袋を付けたままの手で撫でた。この缶コーヒーが冷める前に帰ってきてくれないと困るなぁ などと独り善がりな事を思った。
 彼は泣きそうな顔をしているだろうか。否 きっと無理に作った顔をするのだろう。いや それともわざと凄く不機嫌そうな顔をさらけ出しているのかもしれない。

 ブラウン管の向こうで 手前の優勝選手の向こう側に小さく映った彼の酷く辛そうな顔を思い出した。

 日番谷君 滅多な事じゃ負けないもんね。

 雛森も決して 彼の優勝を望んでいなかったわけではないし その可能性を否定していたわけでもない。けれども 彼が優勝しなかったからといって疑問を持つわけでもなかった。
 初出場で優勝をとってこいだなんて 誰も言わない。言うとしたら 日番谷本人だけなのだから。

 むしろ優勝してしまったら 彼を遠いところに感じてしまったかもしれないと思って 雛森はくすりと笑った。全く 酷い彼女だよね と 心の中で缶コーヒーに語りかけた。

 悔しかったのも嘘ではないし 少し安心したのも嘘ではない。彼がまだ 傍に居る気がしたのだから。

 無人の駅に がらんとした電車が滑り込んだ。ありきたりなアナウンスが流れて 雛森はたったの二つしかない…しかも旧式の…改札機械の前に立った。

 改札に一番近い扉に 銀色がちらついた。彼の色だった。久しく見ていなかった ずぅっと見たかった 彼の色だった。嬉しくなって 雛森は改札の横の 滅多に使われない『学生専用出入り口』から身を乗り出すようにした。

 ぷしゅぅ。音が鳴って 扉が開いた。

 その電車から 降りたのは彼だけだった。
 少し俯き加減にして電車を降りて それから少しずれた肩掛けの鞄を掛け直して やっと彼は顔をあげた。

 やっと 会えた。

 雛森と目が合って 小さく日番谷の口が 「げ」と動いたのが分かった。ぐしゃぐしゃと 特有の銀髪を掻いて バツが悪そうに顔を歪ませて それからまた顔を伏せた。


 切符を入れて 改札を出る。


「お帰りなさい。」

 抱えた二本の缶コーヒーをずいと差し出すと ふてくされた顔でやっと雛森の目を見返した。少し紅くはれた目の縁には 気付かないフリをしてあげようと雛森は思った。

「……タダイマ。」

 何時も通りの声の筈なのに 何ヶ月ぶりに聞いた声は少し上擦っていて 泣き出しそうに聞こえた。
 雛森はニコリと笑ってみせて もう一度呪文のように口にだした。

「おかえり なさい。」

 おぅと小さく日番谷は返してから 不満そうに溜息をついて さも当然かのようにブラックの方の缶コーヒーを受け取った。

「…お前 何時間前からここに居た。」
「へ?」
 何で と首を傾げる雛森に 日番谷はもう一度態とらしく溜息をついてみせた。

「…到着時間なんて 言ってねぇだろ。」
 …先に雛森が見送った電車は3本と記した。この寂れた駅に電車が来るのはそう多くない。

「…一時間 半…ぐらいかなぁ…」
 時計を見ながらぼぅっと答えた雛森に 何やってんだお前と日番谷は呆れた声を出した。
「風邪引くぞ 莫迦」
「引かないよ。」
 彼女がやけに自信ありげに答えるので 日番谷が首を傾げてみせると嬉しそうに続けた。

「日番谷君を待ってるんだもん ひかないよ。」

「…何だそれ。」

 ワケのわからない根拠に 日番谷は再び呆れた声を出した。さっきよりも少しだけ 明るい声で。
 荷物持つよ と 雛森は手を差し出したが日番谷は静かに首を振った。

「藁一本でもオマエ倒れそう。」
「えー 何それー?」
 酷い と口を尖らす雛森に ふと日番谷は笑み やっと理解をした。

 帰って きたのだと。
 そうすると 試合の悔しさが沸々と沸いてきた。何故あそこで あとほんの少し動けなかったのだろうか。

 あと数ミリだった。
 あと数ミリで 届いたのだ。球に。

 そうしたら

 そこまで考えて 日番谷は首を振って考えを払った。「もし」とか「だったら」は もう 考えない事にしたのに まだ未練がましく考える自分が居る事が少し意外だった。

「ごめん。」
「え?」

 きょとんと雛森は 日番谷を見上げた。中学で抜かされて 高校になったらあっという間に大きくなってしまった日番谷を近くで見上げようとするとなかなか首が辛い。

「…優勝。」
 お前に やりたかったと ぼそりと呟いたその言葉の意味を解し損ねて雛森は少しの間固まってから 唐突にぷっと噴き出した。

「…何だよ。」
 不満げに眉間に皺を寄せて日番谷は雛森を見下ろした。今のは笑う所じゃないだろうと。

「あははっ 笑うトコだってば!」

 可笑しそうに雛森は声を出して笑って 暫くして笑い声が止まってもにこにこと笑い続けた。
「…何だよ。」
 もう一度日番谷が気に喰わなさそうに問い掛けると 雛森は未だ笑いながら目を細めた。

「一番なんて 要らないのに。」
 大体 日番谷君の為に優勝とるのに 何であたしの為なの?と 日番谷の言った言葉の意味を知らずににこにこと笑い続けた。

 複雑そうに日番谷は右手でかりっと首筋を掻いて目線を反らした。
 日番谷にとっては 優勝でなければいけなかったのだ。優勝する。それが自分に課せたハードルだったのだから。

 ポケットに突っ込みっぱなしな左手で ぎゅっと拳を作った。自然に眉間の皺が深くなる。
 優勝出来たら 胸を張って言おうと決めていたのに。






 結婚してくれ と。






 あと数ミリで。同じ思いが首を擡げ始めた。

「日番谷君?」

 急に喋らなくなった日番谷を訝しげに雛森がのぞき込み そこで日番谷はやっと目が覚めた。

「あぁ…悪ィ 何でも無い。」
 その反応が気にくわなかったのか何なのか 雛森は背伸びをしたかと思うとぎゅぅっと日番谷の頬を抓った。

「ッ?!」
思わず手を払いのけて 何すんだと雛森の頬を抓り返した。

「いふぁい!いふぁいってふぁ!」
 ごめんナサイ と言葉にならない言葉で雛森が言ったので手を離してやると 頬をさすりながらそんなに強くしてないのに と不満げに呟いた。

「日番谷君らしくないよ?」

 思わず日番谷は あ?といつもより低めの声で返した。雛森は少し眉間に皺をよせ 眉尻を下げて口を尖らした。

「次 あるんだよ?」

 ぱちん と 頬を叩かれたような感覚に襲われて 日番谷は何度か瞬きをくり返した。


 それから 噴き出した。


「えっ 何?!笑うトコじゃないでしょっ?」
 先程の日番谷の台詞と変わらないような事を雛森が口を尖らして訴えたので 日番谷もまた仕返しのように笑うトコ と返した。
 返したのはいいが 日番谷の笑いは止まる事はなくて。


  ぐちゃぐちゃ しすぎてたんだ。


 唐突に日番谷は理解をした。
 「次」がどうのこうのなんて 簡単に口に出来るのは此奴ぐらいで。此奴が何度も「次」を口にするから 此処まで来れていて。


  次で いいか。


 優勝するのは。そんな言い訳染みた事を自分にして もう一度笑った。

「雛森」
「なぁに?」

 無邪気そうにこちらを見上げてくる彼女を見て また目を細めて日番谷は笑った。

「次は 絶対優勝してくるから。」
「だから 優勝じゃなくても良」
 雛森の言葉を優しく遮るように日番谷は続けた。
「だから」









「結婚 しよう。」










 目を見開いた彼女の頬が 夕日に染まった町並みと同じぐらい紅く染まるまで 10秒程の間が空いた。
















::後書::

お気に入りな作品の一つ。
イメージソングとか色々あるんですが…解る人にだけは解る程度で。(笑)
一体日番谷君は何の球技選手なんでしょう。
スポーツの知識が全くないのでこんな事になりました…(笑
初パラレル短編作品。