あ つ い 。

 死にそうだと 日番谷は小さく舌打ちした。
 服で汗を拭こうとして 流石にそれを思いとどまって 面倒だなと思いつつも鞄からタオルを取り出した。

 獣医学科がある学校は かなり少ない。

 早くに両親を亡くした彼に 私立に通う金があるわけもなく。…とは言っても 私立で獣医学科がある学校もまた極端に少ないのだが…今こうして公立に通っている。
 高い倍率も無視しているかのようにすんなりとトップ入学して 以前住んでいた祖母の家からでは通えるものではないから 今は一人暮らしだ。

 クーラーのかかったその教室の扉を開けて 思わず安堵の溜息をついた。
 既にお気に入りの左窓側の後ろから三番目の席をちゃっかりと取っている松本が 日番谷に気付き にやりと笑った。

「勉強頑張りなさいよ アンタ。」

 奥さんの為にも と付け加えられて日番谷は顔をしかめた。よく言ったものだ。
 丁度対となる 壁側の前から三番目の席にどさりと肩の荷物を置いて パイプ椅子を引いて腰掛けた。

「巫山戯てねぇで ちったぁ勉強したらどうだ 勉強。」
「あら しまくってるわよ?」

 手の下に引いていた紙の束をびらりと日番谷の方に向けて にやりと松本は笑った。
 無駄に大量なるレポートに 思わず絶句しながら日番谷は呆れた顔をみせた。

「アホ」
「何ッ?!ど 何処がよ!」
「全部。ていうかな 字数制限守れお前は!」
「失礼ね 今から凝縮するのよ!」
「凝縮じゃなくてただのカットだろお前の場合!」

 広い教室の端っこと端っこで怒鳴り合いをしていると がらりと阿散井が扉を開けた。
 それを皮切りに ざわざわと大群が入ってきて その喧嘩ともつかぬ言い争いは一時幕を閉じた。

 −相変わらず暑い日が続くけれども
 −そっちは 大丈夫?

 頭が勝手に綴る 彼女への手紙に思わず溜息をついた。
 今日の夜になればまた電話もするのに 全く欠乏症も勘弁してくれ と。

 今日の電話は何を話そう
 そんなことばかり 朝から考えている。


 受講を終えて 自習室から出た頃には空はどっぷりと黒に染まっていた。黒い空のなか もぞもぞと動く雲に微かに顔をしかめた。

 明日ぐらい くるかな 台風。

 暑さのわりには早い台風の予感を感じながら 下宿先の扉をくぐった。
 部屋に戻ると どさりと重い鞄を布団の上に落として 勉強道具を一通り取り出して ぱちんと机の上の蛍光灯をつけた。
 暫く勉強をした後に ピピピと鳴り出したデジタル時計に目をやった。
 10時 一分前。
 慣れた手つきで 電話番号を押す。まさか 自分の携帯と実家の番号以外の電話番号を空で暗記する事になるなどとは思ってもいなかったな と苦笑して 最後の「4」の番号を押した。

 トゥル…ガチャッ

 呼び出し音がかかって数秒ともしないでとりあげられた音がして 思わず日番谷は電話越しに驚いた。

『はいっ も もしもしっ!』

 焦った それでいて喜びを含んでいる声に ぷっと噴き出してみせる。
「…ッ…お お前 最近更に受話器取るの早くなってねぇっ…?」
 笑いを堪えているのがまるわかりの声に 素早く彼女の返事が返ってくる。

『そ そんなことないってば!意地悪!』

 頬を膨らませて怒る彼女の顔が いとも簡単に浮かんで また日番谷は笑った。

「なら良いけど」
 そう言いながら 左肩をすくめるようにして 受話器を耳にあて挟んだ。

 がり と シャーペンの芯と紙が掠れる音が部屋に響いた。
 そのタイミングをまるで見ていたかのように 雛森はぽそりと聞いた。

『勉強 どう?』
「んー。あんまり」

 成績不良とまではいかないものの いつもより下がっているのは確かだった。
 精神不安定もいいところだ。そんな会話を数個静かに交わしていると 2分間に5回漢字を間違えてケシゴムを使うハメになった。

「あぁ でも心配すんなよ 大丈夫だ」
『っ…』
 でも とか何か言葉を続けようとした彼女の声をやんわりと遮って日番谷は続けた。

「お前は 大丈夫なのか?」

 声を止めた後に 何で解るのかなぁと雛森は苦笑した。

『…きょ…今日ね また…変な人におっかけられて…別の人には 付き合わなきゃ…殺す…とか…言われて…』

 あたし どうしたらいいのかなぁ と かすれた声で雛森が訴えた。
 多いのだ。結構狂った輩が。
 日番谷が雛森のそばに居ない分 居もしない彼氏を作り上げてフる理由にしているのではないだろうか などと考えはじめる奴も居る。
 自分が情けないと言うか その野郎共を今すぐ殴りにいけないのが悔しかった。

 寄り添ってやれない。
 けれども 此処に 俺は居るから。

「日曜。かえる。」
『へ?!』
「帰るから。…明日は 我慢してくれ。…そしたら」




 なんでも してやるから。




『…あぁ 日番谷君だ…』
「はァ?」
 唐突な雛森の台詞に 日番谷は素っ頓狂な声をあげた。
『…あったかいや。…うん 頑張るね…っ!日番谷君も 無理しちゃダメだからねっ!』

「お おう?」

 唐突な強い押しに 思わずしどろもどろになった日番谷に 雛森はくすりと笑った。

「大好きだよ」
「知ってるよ バカヤロ。」

 なんとなく 照れ臭くて日番谷は話題変えを試みた。

「お前 学校の方は?」
『あっ そう 七緒ちゃんがね!』



  寝るまで一緒に話しつづけよう

  天気予報も違うくらい 離れても

  繋がってるから。





  僕らは 繋がってるから。










::後書::

音楽祭り残骸。レミオロメン『電話』イメージ。
なんだかんだ云ってお気に入りだったり…。