雨の音がする。
 そう言った雛森に 日番谷はそりゃそうだと軽く返した。
 本当に それもそう なのだ。

 なんたって 雨が降ってるのだから。


「…うう…。」
 雛森は窓を見上げながら 恨めしそうに小さくうめき声を上げた。折角。折角 何処かに出掛けられると思ったのに。空を恨んでも仕方ない事は解っていながらも 恨まずにはいられない。

「諦めろ この雨の中じゃ行っても面白く無いだろ。」
 そう言う等の本人は随分と悠々と本を読んでいる。

「良いよね 読書家さんは。」

 雨だって楽しいでしょう?と尋ねると 日番谷は目線を動かさずに返した。

「お前も本ぐらい読むだろう?」
「面白いのが無いの。」
「貸すぞ?」
「日番谷君のは難し過ぎるの!」

 何処が面白いのか全然わかんないのばっかりなんだもん と 雛森は手元にある本をぱらぱらと捲った。

 やっぱり 全く意味が解らない。

 嵐のような空を窓を通してもう一度見上げながら 止め と 無茶な命令をした。

 止め 止め 止め 止め

 呪文のように心の中でくり返してみる。

 止め 止め 止め 止め………止んで 下さい。

 勿論 こんなもので止む筈も無く。諦めて雛森は 先程とは違う本を引っ張り 手元で開いてみた。しかも 中途半端なページから始めたので 当たり前だがさっぱり意味が解らない。もう一ページ開いてみてから 手が止まった。

「…ひ 日番谷君…。」
「あ?」
「こ…これ…。」

 日番谷はそう言われてやっと 本から目を離した。雛森は自分の開いた本を指さしながら 物凄く意外そうな顔をしている。日番谷は内心首を傾げながら 雛森の手元の本の背表紙を見て

 固まった。

「…い…意外…。」
「…お お前 其れ何処から…。」


 其れは 有名な恋愛小説で。


「日番谷君 絶対こーゆーの読まないと思ってたのになぁ…。」
「…それ 俺のじゃねぇからな。」
「えー?」
「松本の野郎が押しつけてきやがったんだよ」

 ふぅん と 雛森がそれで納得してくれた事に少なからず日番谷は安堵した。

『これで雛森の心でも少しは解るんじゃないですか?乙女心は複雑ですから。』
 そう 物凄い笑顔で押しつけられたなんて 口が裂けても言えないのだから。
 雛森はぱらぱらとページを捲りながら呟いた。

「なっつかしいなー…。」
「知ってんのか?其れ。」

 意外そうな日番谷の声に 雛森は少し笑って答えた。

「女の子の中じゃ滅茶苦茶有名だよ?」
 へぇ と日番谷は生返事を返した。そんなものなのか と思っていると 雛森はへらりと笑ったのちに 本を閉じて暗唱を始めた。

「『忘れてくれ この指輪を君に遺してゆくから忘れてくれ。指輪が壊れるまで忘れてくれ。壊れたら思い出してくれ そして…思い出を 風化させてくれ。』」
「…どうでも良い事だけ覚えてるんだな お前は。」

 日番谷の呆れた声に どうでもいいから覚えられるんだよ と 雛森は笑った。

「モノがあったら思い出さないわけにはいかないのに。覚えていて欲しいけど 縛られてほしくない…っていうのかなぁ。」
 この切なさが女の子は好きなんだよねぇ と まるで他人事かのように雛森は笑いながら本の表紙を撫でた。

「…俺だったら」

 ぽつりと唐突に放たれた言葉に 雛森は顔を上げた。

「…俺だったら モノが無くても思い出さないわけにはいかないぐらい…風化なんてしないぐらい」


 深く

 深く


「刻みつけて 焼き付けてやるのに。」

 その心に 灼熱の爪をたててやるのに。そう ソファーに座っていた日番谷は天井を見上げて 空気に爪をたてるようにしながら呟いた。其れを聞いて らしいねと雛森は呟いて 言葉を続けた。

「でも 日番谷君はきっと 忘れられるクスリを置いていくんだろうねぇ…。」
「あ?」

 何だそれ と雛森に目を向けると 雛森は笑みながら本を開いた。

「辛くてしかたなかったら 忘れてくれ って。忘れて幸せになるのなら そのクスリを飲んでくれって。」

 その台詞に日番谷は少し考えてから口を開いた。

「…そんなもんあったら 自分で使ってる。」
「あたしは使わないなぁ。」

 間髪入れずに返された台詞に 日番谷が意外そうに目を見開いた。

「こうやって話した事も ぜーんぶ。消えて無くなっちゃうなんて 嫌だもん。忘れたくないもん。」

「…何だそれ。」

 笑いを堪えながら日番谷は言った。バーカ と 一言。





 雨の音がしなくなったので 窓の方を見てみると 光が射し込みはじめていた。
 …どうやら 空へのお願い事は通じたらしい。

「ほら 日番谷君!晴れてる晴れてるっ!」

 ぱん と 窓を開け放って空を見上げる。日番谷もその隣から顔を出し ああ本当だと返した。

「さっきまであんな大雨だったのにな。」
「えへへっ!ね 行こうよお出かけ!」

 はいはい と日番谷は返事を返して私用の羽織を掴んだ。






 さぁ 本を閉じて出掛けよう。

 忘れたくない思い出をさぁ

 もう一つ

 もう一つ

 増やしに 行こう。