「隊長。」
酷く淡々とした声だった。
言った本人は何か考え事にふけっているようで、まるで独り言のようだった。
「…?何だ?」
日番谷は書類から目を離し、普段見ない彼女のその表情に訝しげに答えた。
松本は日番谷の居る場所とは違う場所をじっと見つめながら口だけを動かした。
日番谷に喋っているというよりは、自分自身に話し掛けているようだった。
「…隊長は」
「ん」
「雛森が死んだら、どうします?」
っ、と日番谷は小さく息を呑んだ。
誰もが一度は考え、そして誰も触れない事。
大切な人の死。
其れを今になって触れられた事に、日番谷は驚きを隠せなかった。
けれども、何故だか嫌な気持ちはしなかった。
ともかく何か反応を返そうと日番谷が言葉を捜していたときに、松本は急にはっとした表情をした。
急に焦点があった、そんな感じだった。
「!す、すみません!私ってば…!」
松本は慌てて言葉を捜していたが、日番谷は苦笑してそれを遮った。
「いや、良い。……どうかしたのか?」
松本は困たように日番谷の方を見た。
日番谷がじっとその目を見返すと、彼女は観念したかのように溜息をついた。
「…大切な人を無くしたとき、あたしはその虚空に耐えられるのかなと…その先にあるものを見る勇気があるのかと…思ったら…。」
松本の言う『大切な人』が一体誰なのかは日番谷にはあまり見当がつかなかったが、その言葉の切実さは何よりもわかっているつもりだった。
幾度と無く考え、そのような事が起きないようにと祈ることしか出来なかった事柄。
誰もが目を逸らし続けてはいけないのに、目を逸らすしかなかった目前に迫り来るその時を、ただ怯えていた。
「す、すみません!辛気臭い話しちゃいましたね!あは、あはは…」
松本は頭を掻いて笑って話を流そうとしたが、重い空気は流れはしなかった。
日番谷は頬杖をついて、ぼんやりと考えた。
彼女が消えた世界
彼女が居ない世界
何も無い、虚空の世界
そして、その先にあるもの。
出てきた答えは情けないながらにも、一番納得いく答えだった。
日番谷は、呟くように声を出した。
「…アイツを失った時にあるのが虚空なら」
返事が返ってくるとは思っていなかったのだろう、松本は驚いた顔をした。
「その先にあるものが例え分かっていても、分かっていなくても…俺は、進まないだろうな。」
「…え?」
松本が少しだけ『解らない』というかのように眉間に皺を寄せた。
それに返事を返すかのようにして日番谷は言葉を続けた。
「…思い出にしてしまうのが、怖いから。」
はっとした顔をしてから、松本は軽く苦笑した。
「……隊長、らしい。」
痛みを伴った声だった。
松本が何を感じたのか、日番谷には解らなかったし、解ろうとも思わなかったが、それが痛いものであることだけはぼんやりとわかった。
日番谷は立ち上がり、机の後ろの扉を押し開けた。
差し込む光が心臓を貫いた。
進む事は逃げなのだろうか 勇気なのだろうか。
進まない事は逃げなのだろうか 勇気なのだろうか。
どちらにしろ、俺は動かない。
それだけは、確信を持って言えた。
俺は動かない。
時が流れる事を、恐れるから。
例え、虚空の先に何があろうとも。
雲ひとつ無い空で、二匹の鳥が絡まり合うようにして飛んでいた。
+戻+
::後書::
雛森が名前すら出ていなくても日雛と言い張ってみる。