カツン、カツン、と無機質なメロディが流れる。

「日番谷隊長、お止めください」
「まだ雛森副隊長様は精神的に御安定はされておりませんので」

 繰り返しそう告げる門番を無視して歩を進める。
 門番も、徐々に焦りを顕わにしつつ着いて来ては、その言葉を繰り返す。

「日番谷隊長、お止めください」

 最奥の隔離室までの距離が、徐々に埋まって行く。
 それと比例して、少しずつ風景は殺風景になってゆき、窓は小さくなってゆく。

「日番谷隊長」

 15回目に門番がそう口にしたとき、日番谷は初めて静かに口を開いた。

「煩い。」

 門番はそれ以上言及することも、着いて来ることもなかった。
 足袋を越して、コンクリートの冷たさを足の裏に感じた。
 うるさいものが消えてから、彼女の居る隔離室へたどり着くまでの時間は、そんなにも長くは無かった。
 雛森が視界にはいると同時に目が合う。彼女は目をそむけなかった。日番谷も目をそむけなかった。

「ねえ、日番谷君。」

 柵に近づいてきた雛森が、つぶやいた。

「寒いの。」

 レコーダーに入れられたナレーターの声のような、単調な声。
 顔には、まるで人形のような薄っぺらい笑顔が張り付いていた。

「まるで心臓がないみたいなの。」

 掌握された彼女の左胸は、苦しそうに悲鳴をあげていた。

「ねえ。」

 つぅ、と一筋の涙が彼女の頬に流れた。
 それすらも、まるで蝋が垂れだしたかのような、無機質な涙だった。


「日番谷君の、ちょうだい?」


 そこでやっと、日番谷は顔をゆがめた。苦かった。酷く苦い言葉だった。
 やってもいいかもしれない、と思った。
 でも、それじゃあ、二度と彼女を守れない。

「腕ならいいぜ。」

 二つあるものなら、あげてもいいとおもった。
 彼女の目が見開かれた。

「それとも、目の方がいいか?」

「いいの?」

 日番谷がこくりとうなずいたときの、雛森の表情はまるで、玩具を買い与えられる約束をされた子供のようだった。
 胃がきしんだ。けれども、そんなわけはないと心の中で首を振った。

「…綺麗…。」

 そう小さく囁いて、彼女は彼の瞳に目を伸ばした。
 日番谷は彼女が抉り取りやすいようにと、目を開いたまま瞬きすらしなかった。

 不ぞろいな爪が眼球と触れ合うかという距離で、指が止まった。

「…どうした」

 彼女の顔が強く歪んだ。
 溢れた涙を見せまいと、慌てて両手で手をふさぐ。それでも、指の合間から其れは滲んでいた。

「う…っ、うわあああん!」

 子供のように大きな声で泣きながらも、醜い顔を見られまいと顔を覆うその姿に日番谷は酷く違和感を感じた。
 大人のくせに、子供ぶって、子供のくせに、大人ぶって。

「やだよぅ、やだよぅ」

 大きく首を振りながら厭々と全身で拒否を示す。

「さむいよっ、さむいよっ」

 牢の鍵を開いても、彼女は気付かなかった。
 彼女の手に力が篭り、爪が頬に食い込んでいた。

「さむ…」

 触れると壊れそうな彼女を、きつく抱きしめた。
 大きな目が見開かれ、遠くを見ていた。

「…心臓、あげられなくて、ごめんな」

 彼が搾り出した声は、雛森より、ずっと震えていた。

「……ううん」

 意識が無いような無機質な返事のあと、彼女は軽く鼻をすすった。
 細い彼の腕を、手のひらで包み込む。

「…あったかい。」

 泣きっ面に似合わない、淡々とした声。
 感情のメーターは、とうの昔に振り切れていた。

「ねぇ、心臓じゃなくて、腕じゃなくて、目じゃなくて。」

 雛森は、そこで言葉を切った。続きは必要なかった。
 過去という鎖はあまりにも冷たくて、彼女はその冷たさに耐え切れなくて。

「…全部やるから。もう、お前一人凍えさせたりしないから。だから、」

 彼女の顔の前にかざした手に、気を込める。

「もう、眠っていいよ。」

 ふっ、と腕の中で彼女が力を失った。
 目が醒めた時、一人なら彼女は悲しがるだろうか。

 やらなければいけないことは、まだ残っていた。

「…おやすみ。」




 この無意味な戦いが終わるまでは、どうか。