瞬きを ひとつ ふたつ。
するたびに貴方が遠のいていくから 瞬きをやめた。
それでも貴方は遠のいていって 乾いた目を潤そうと涙が零れた。
それでもアタシは 瞬きをしなかった。
それ以上遠くに 貴方の背中が行ってしまう気がして
遠ざかる背中を じっと瞬きもせずに見つめていた。
「い ち ま る た い ちょ う ?」
酷く皮肉を込めた声で言うと 膝の上の市丸はくるりと頭を回して何?と簡易に応えた。
「退いて頂けませんか。」
「嫌」
「嫌 じゃありません。」
「命令」
「別隊の隊長さんに私的な命令をされる筋合いはありません。」
「何 十番隊隊長はんやったら膝枕するん?」
「誰もそんな事言ってません。」
「でもアレは 五番隊副隊長はんの膝以外じゃ寝なさそうにないわなぁ…」
「聞いてますか。」
「聞いてへん。」
「くすぐったいんですけど。」
「んー サラ毛やもんな 僕。」
「蹴り飛ばして良いですか?」
「駄目。」
一通りの言葉のやりとりをしてから 松本はこれ見よがしに溜息をついた。これでは溜まりきった書類の整理すら出来ない。三番隊も 決して暇ではかった筈だ。探し回る吉良が容易に想像出来 御愁傷様と心の中で松本は思った。
「誰の事 考えてるん?」
「吉良が可哀想だな と。」
「僕以外の奴の事考えてるん?」
市丸は す と手を伸ばし松本の首に其れを回した。幾ら彼の手が長いといっても 松本は少し背を丸めなければいけなかった。
「市丸隊長」
「乱菊。」
キッパリと言い放った其れは つまり名前を呼べという命令形なのだ。松本は諦めて唇を動かした。
「ギン」
市丸はニコリと笑うと 何?と問いかけてきたのがやけに憎らしくなってきて その頬を思いっきりひっぱってみると菱形のようになった。
「乱菊 痛い痛い。」
おかしそうに笑いながら全く痛くなさそうに市丸が笑うので 松本はもうすこし力を入れてみた。
あんなに遠くに感じられたものが 手の中にある感覚が不思議だった。
「隊長ーっ!」
悲鳴に近い吉良の声と ドタバタという荒い音が聞こえて松本は思わず手を離した。
「市丸隊長 部下が呼んでますよ」
「そやねぇ。流石にもういかなあかんかな…なぁ 乱菊最後に呼んで?」
名前 と付け足しながら市丸が上半身をやっと起こした。松本は少し考える素振りをした後に 小さくギンと呼んだ。
「おおきに。」
ニコリと笑って市丸は立ち上がり 扉へとふらふらと歩いていった。徐々に背中が遠のいていくのを 松本はじっと見つめていた。
遠ざかる。
彼の 背中が。
言いようのない恐怖が全身を支配して その衝動を理解しようともせずにその背中に飛び付くように抱きついた。
「らん ぎく?」
意外そうに市丸が見下ろしているのが分かったが 松本は顔を彼の羽織に埋めるようにして隠した。
「どないしたん?」
少し可笑しそうに ぽふぽふと頭を撫でられて涙腺が弱っていくのを感じた。
懐かしい手。懐かしい背中。
いつだって あたしにとっては 大きすぎる手。
いつだって あったかくて 昔なんかよりずっと大きくなってしまった背中。
いつだって
あたしを 真っ白にして
あたしを 満たしてくれた手と背中。
何度も何度も あたしの前から遠ざかっていった背中。
「帰って きて よ」
掠れた声に きょとんとした顔をして反応を示してから市丸は眉尻を下げた。
「仰せの通りに お姫はん。」
ぎゅぅ と 少しだけ腕に力を込めた後に松本はその手を離した。
いつかは遠のいてしまう背中でも
それでも
今日だけは 帰ってくると 約束してくれた。
「いって らっしゃい。」
だから 言える。
今だけ 言える。
「行ってきます。」
独特なイントネーションで其れを言ってから市丸は扉を開けた。直後 吉良の何処に行っていたのですかという怒声と 謝る気のない謝罪が廊下から響き渡ってきた。
はぁ と溜息をついてから 松本は零れていた涙を拭った。気付かれないように精一杯やったが あのキツネは気付いていただろうか。
気付いていない事を願う中で 気付いていてほしいという矛盾した願いが芽生えている事に気付いて首を振った。
「さってと 仕事しよっと…。」
溜まった仕事を
彼が 帰ってくるまで。
+戻+
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::後書::
よくわからんの一言に尽きる作品。
乱菊さんは寂しがりやでいいと思う。
ギンさんも寂しがりやなんだけど
乱菊の為に去るような人で良いと思う。