そっと、髪を触れようと伸ばされたその手。
 其れが視界に飛び込んできたのが、あまりに唐突だったためにギンはびくりと肩をふるわせた。
 相当気を緩めていたことを再確認する。

 その手の主に目をやると、脅えた目が見返してきた。
 そのまま数秒の時間が流れる。その時間がやけに長く感じた。
 呪縛が解かれたかのように、急に彼女の指がビクンとはねたかとおもうと、あっというまに手を引っ込めた。
 小さく、唇がごめんなさいと紡ぐのを見た。

「ぅ……。」

 俯き小さくうめく彼女を、愛しいと、素直にそう思った。
 じっと彼女を見つめると、更に顔は俯かれ、肩がわずかに震えだした。
 脅えているだけなのか、泣いているのか、分からなかった。

 下ろされた手を掴むと、勢いよく彼女が顔を上げた。
 驚愕した表情を横目に、彼女を抱きしめた。
 思い切り、力いっぱい。

 震えていた体から、徐々に力が抜けていくのがわかった。
 耳元で、ぐすんと彼女が鼻をすする。

 脅えた手が、優しく抱き返してきた。酷く冷たい手だった。

 愛しているとは言わなかった。言えなかった。
 それでも、確かに感じていた。そのぬくもりを、その愛しさを。
 抱きしめることが言葉の代わりになると、信じていた。


 あの頃のように抱きしめることも、抱きしめ返すことも、今はもう許されない。
 抱きしめた後、嬉しそうに微笑んだ彼女の笑顔を守る事も出来ない汚れた手のひらを強く握った。
 知っていた。気づいていたからこそ、伝えなかった。

 この手では、あの笑顔を壊す事しか出来ない。


 温もりの記憶だけが、何よりも早く色褪せてゆく。
 生まれてはじめて、それを悲しいと思った。











::後書::

ひたすらに淡々と。