雨傘が、リズムカルに雨をはじく。
 薄雨は好きだが、あまりへビィなのは流石に気が重くなる。
 特に、こんな日は神様にだって恨み言を言いたくなってしまうのは、万国の乙女共通ではないだろうか。
 そんな事を考えながら、早く屋根のあるところに行きたくて足を早める。

「にゃ」

 立ち止まらなければいいのに。そう思うものの、足は前へは進んではくれない。
 ダンボール箱から顔をだした其れは、嬉しそうにこちらを見つめた後にぷるぷると体を震わせた。
 お気に入りのその服が濡れちゃうぞ。そう自分を脅してみたが、やはり足は勝手にしゃがみこんでしまった。

 びしょ濡れ猫に、傘を差してやる。

「お前、ぶちゃいくだね」

 確かに猫としては整った顔ではなかった。しかし愛嬌がある。こういう顔のほうが、どちらかというと好みだった。
 不ぞろいなほど大きい瞳がこちらを見て、嬉しそうに鳴いた。

「にゃー。」

 少しだけ、心がズキンとした。
 猫が聞いてくるわけでもないのに、ひとりでに言い訳を始める。

「あたしね、今からデートなんだ。君を連れてはいけないよ。怒られちゃう…。」

 拾えない捨て猫はなでない。それは変なモットーだった。
 愛着がついてしまえば、にっちもさっちもいかなくなる。

「ごめんね。」

 不細工な猫を撫でるかわりに、桃色の傘を置いていった。
 せめて凍死しませんように。そう願って。

 待合場所に走りこんだ時は、見事に猫よりもびしょ濡れであった。
 これじゃあ、お気に入りの服も駄目になりそうである。クリーニングにいつだせるかしら。
 曇り空に濡れ鼠は、流石に少し寒かった。

 5分程待ったかと思われる頃、雨脚が強くなってきた。

「お前、なんでそんなびしょ濡れなんだよ。」

 声をかけられて、危機として振り返る。
 そこには、桃色の傘を差した彼と、腕の中の猫がいた。

「……あ」

 声が、掠れた。

「傘忘れたから、拾ってきた。傘といっしょに。]

 彼は、髪についた雨を弾こうと頭を振った。まるで猫のようだった。
 ふと、彼がこちらをじっと見上げてきた。

「悪ぃな、これじゃ店も入れねぇし…。」

 ショックで固まっているのを、怒っていると勘違いしたのだろうか。
 申し訳なさそうな顔の彼に、胸が痛んだ。

 情けない、恥ずかしい、莫迦みたい。

 猫を連れていけば彼に怒られる、なんて、ただの自分に対する言い訳だったことを、目の前につきつけられた。
 彼が怒る筈はない。そんなことは初めから知っていたのに、久しぶりのデートを台無しにしたくなくて、拾わない言い訳に彼を使った。なのに、彼はそんな姑息なことを一つも考えずに、猫を拾ってきた。
 言葉が何も出なかった。

「……お前、傘は?」

 びしょ濡れな自分に、不思議そうに彼が尋ねた。
 素直に事実を言えるはずもなかった。

「…忘れたの。」

 雨は、朝から降っていた。
 彼は少し迷ってから、そうか、と答えた。尋ねない優しさが、とてもとても痛かった。

「こいつ、お前の事好きみたいだな。」

 突拍子もないその台詞に、自分がずっと猫から目をそらしていた事に気付いた。
 大きな目を見開いて、こちらを一心不乱に見ている。
 拾って捨てたも同然な自分の行為に、恩義でも感じているのだろうか。そう考えると、むしろ責められているような気分になった。

 猫が彼の腕を蹴った。そう認識したときには、猫はすでに自分の腕の中にいた。
 にゃあ、にゃあと胸元に頬をこすりつけてくるので、止めさせようと猫に触れた。

 とても、冷たい頬だった。

 その日のデートはやっぱりおじゃんになってしまった。
 その代わり、部屋に一匹の住人が増えたのだった。