俯せの状態で腕を組み、その上に顎を乗せながら日番谷は深い溜息をついた。
 雛森は苦笑しながら彼の背中に指を走らせる。
 特定の場所に触れると、日番谷は痛みでくぐもった声を出す。
 その声を聴いて雛森は慌ててごめんねと謝る。その繰り返しだ。

 左肩から右腰にかけての酷い怪我だ。
 しかし、そんな傷よりも上から降ってくるすすり声の方が痛い。
 黙々と作業は進んでゆく。

 背中の傷は武士の恥とはよく言ったものだと、日番谷はおぼろげに考えた。

 背骨まで届いていたらどうする気だったのかと手痛いお叱りは卯の花から十分受けている。
 日番谷の傷と、もし日番谷が庇わなかったときに雛森が受けていたであろう傷では天と地の差がある。
 おそらく深さ一ミリも無かったであろうと、松本に諦めた顔で言われた。

 本当は、そのくらいの事はわかっていた。
 それでも庇わずにはいられなかった。

 気付いたときには、体が動いていた。

 こればかりはどうしようもない。つぶてが飛んできたときに目をつぶってしまうのと同じ、条件反射だ。
 虚が爪を振り下ろす映像が見える。ノイズだらけの音が響く、白黒映像だ。

 初めて彼女が斬りつけられたのを見た時の記憶だ。
 実際は大したことのない怪我だった。
 次の日にも普通に仕事が出来ていたし、二ヶ月もたてば傷はもう跡形もなく消え去っていた。

 その程度の怪我だったのに、あの時の感触は忘れられない。
 言葉に出来るものではない。否、むしろ言葉にすべきではないのだろう。
 どんなものを当てはめようとしても、それは似せようと思えば思う程遠のいてゆく。

「終わったよ。」

 掠れた声が部屋に響いた。
 この部屋に、布が掠れる音以外の音が響いたのは久しぶりな気がした。

「ああ。」

 そう日番谷は答えはしたが、体を動かしはしなかった。
 まだ服が着れる程乾いてもいないので、動いても何もすることがないのだ。

 また重い沈黙が流れる。
 視線が痛いとはこのことをいうのだな、と日番谷は思った。
 背中がちりちりとこげるようだった。

 そんな日番谷の心中を知ってか知らずか、雛森はただ目を細めその傷を見つめていた。
 これで何度目だろうと、自分を責める。
 幾度彼に庇われれば気が済むのか。
 幾度彼に傷を負わせれば気が済むのか。

 自分のせいだ、と雛森は呪文のように自分に言った。
 全ては自分の気の緩みだ。
 考えれば考える程目頭がじんわりと熱くなる。

「ごめんね」

 声が響いた。

「ごめんね」

 日番谷は答えなかった。
 否、答えられなかった。
 どんな顔をしたらいいのか解らなくて、自分が今どんな顔をしているのか解らなくて日番谷は枕に顔をうずめた。
 なんと痛ましい謝罪の声だろう。

「お前が、何で謝るんだよ」

 搾り出された声は枕のせいでくぐもって雛森の耳に届いた。

「ごめんね」

 もう、日番谷に言葉を返せる筈もなかった。
 ただ、その言葉さえ言えば自分が許されるような、彼の傷が消えうせるような錯覚に陥りながら雛森は言葉を繰り返した。

 お前のそんな声を聞きたかったんじゃないのに。

 キリキリと胸が締め付けられる感覚をごまかそうと、日番谷は更に深く枕に顔を埋めた。
 ごまかす言葉も慰めの言葉も、何もかも彼女には届かない。
 彼女を傷つけた。その考えだけが脳内を支配する。

 俺が、雛森を、傷つけた。

 どうせ、いつものように怒ってくれると思っていた自分の軽薄さに反吐がでる。
 いつものように、莫迦と一言怒鳴ってくれて。
 一通り口論をした後に、悪かったと俺が言って。
 それで、全てが終わると思っていた。

 全てが、またいつものように戻るんだと。

「ごめんね」

 もういいんだ。
 そう言いたかったのに、喉は潰れてしまったかのように声を出してはくれなくて。
 日番谷は変わりに、手探りで見つけた彼女の手を強く強く握った。

 頼むから、そんな声、出さないでくれよ。






 背中の傷から、涙の代わりかのように血が滲んだ。










::後書::


シリアス万歳!
激痛万歳!(待て)
…そんなテンションで書いたんで勘弁してください…!