(嗚呼)
頬に飛んだ血を拭おうともせずに、雛森は辛辣そうに顔を歪めた。
(私は、また)
こみ上げてくるものを押さえ込もうと目を瞑ったが、けれどもそれは瞼の中から零れ落ちた。
(また、涙を流すんだ。)
刀を支えていた腕が、かくんと力無く重力に従った。
何百回と心の中で反復していた台詞が、今宵もまた彼女の胸の中によぎった。
(心など、無くなっちゃえばいいのに。)
まるで誘惑の台詞かのように、その台詞は雛森の中からなかなか出て行こうとはしなかった。
何故涙を流すと自分を問い詰めても、出てくる答えは可哀想だからという至極単純明快で、それでいて死神にはありえてはいけない答えだった。
魂を喰らい、生きる人も死んだ人も消滅させる虚は、討たなければいけない対象の筈なのだ。
それに一々涙を流していたのでは、自分がやられてしまう。
自分がやられれば、その場にいた部下達も喰らわれるという事にほぼイコールで繋がる。
それはまた、討てた筈の虚が増える事につながり、無意味な死を増やす事となる。
(だから、泣くなって言ってるじゃない。莫迦桃。)
溢れる涙が、虚のためなのか、自分の悔しいという感情からきているのか解らなくなり始めた。
忘れる事なんて、出来る筈無いじゃない。そう、反論しだす自分が居た。
どうやったら忘れられるというのだろうか。
あの仮面の下にあった、安堵の瞳を。
掠れた声が言う、ありがとうの台詞を。
愛する人を
守るべき人を
ワケも解らず、自分の手で殺すなんて。
自分の心を、埋める。ただ、それだけのために。
(そんなの、哀し過ぎるじゃない。)
ごちん、とおでこに何か当たって、雛森は驚いて顔を上げた。
目に映るのは、むすっとした顔の日番谷と竹筒の水筒だった。
「飲め」
ぶっきらぼうな台詞に、きょとんとした顔をすると、日番谷は眉間の皺を深くした。
「脱水症状で死ぬぞ」
優しさゆえの台詞と知っていたからこそ、雛森は笑ってそれを受け取った。
無意味に笑いがこみ上げてくる。
あはははと唐突に笑い出した雛森を、日番谷は少し面食らった表情で見つめていた。
「日番谷君、今時竹筒水筒なんて使ってるの、日番谷君ぐらいじゃない?!」
「う、うるせぇな、良いだろ別に。」
あははは、と雛森はまた笑った。
目尻に溜まった涙は、先ほどの涙の残りなのか、笑いのせいの涙なのかわからない。
ふ、と日番谷が眉尻を下げた。
(…心配させちゃったかな)
彼なりの優しさがじんと沁み込んだ。
横を向いたまま、遠くを見るようにして日番谷は口を開いた。
「そうしてろ」
優しい声音だった。視線を戻そうとした日番谷と目が合う。
「…明日も、明後日も、明々後日も、そうやって…」
そこで区切って、すっと日番谷は息を吸い込んだ。
吐く息に乗せるように呟くその台詞が、雛森を貫いた。
「そうやって、笑ってろよ。」
じわり
止ったはずの涙が蘇った。
「斬る度に泣けばいい。誰にも涙を流してもらえないヤツ等の為に、斬るたびに泣けばいい。」
(何で)
一粒、大粒の涙が頬を伝った。
「それが」
(ずるいよ)
「俺の知ってる、雛森桃だ。」
先の涙を追うように、ぼろぼろと大粒の涙は次々と頬をすべり落ちた。
ずるい、と雛森はもう一度心の中で繰り返した。
何で、何でと疑問が回る。
(何で、あたしが一番欲しい言葉がわかるの?)
少しだけ背伸びをして、日番谷は雛森の頭を叩いた。
本人はきっと撫でているつもりなのだろうけれど、雛森にとっては少しだけ痛かった。
その痛みが優しくて、余計に涙が出た。
日はもう姿を隠そうとしていた。
「帰るか。」
何気ないように、日番谷が言った。
帰る場所があると諭された気がした。
だから、あたしは、機械仕掛けの暗殺者になりきれない。
+戻+
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::後書::
リハビリ作品。
ヒツも雛もズルいんです。