171.投げる
全力投球されたそれ。
考えることが出来ずに、体を動かすことも出来ずに、俺はそれを顔面で受け止める羽目になった。
「っ……?!!」
ぶにょん、という妙な感触。
落ちる前にそれをキャッチする。目にして、やっとそれが何なのかを理解した。
水風船だ。
「……?雛森、これ…。」
良く割れなかったなと思いながらそれを持つ手に力を入れたり離したりしてみる。妙な感触。
彼女はむーっとした顔をすると、見えやすいように思いっきり舌を出した。
「昨日のお祭りのですよーだ!」
拗ねたまま、ぷいと向こうを向いてしまった雛森を見て、日番谷は思わず肩を落とした。
そういえば祭りは昨日が最後だったろうか。
長い祭りなものだから、明日行く、明日行くとつい先延ばしにしてしまった。
(…参ったなあ。)
首筋の後ろを掻きながら、日番谷はどう彼女の怒りを静めるのかを考えた。
にゃぁん、とネコが鳴いた。彼の前にも、振り向かない雌猫が一匹。
目をやって挨拶。
…お互い、苦労しますな。
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172.椅子
ぎぃこ、ぎぃこ。
椅子は悲鳴をあげるでもなく、無機質に鳴いた。
ぎぃこ、ぎぃこ。
無償に、懐かしい音だと思う。
ぎぃこ、ぎぃこ。
何処かで聞いた。ああ、そうだと思い出す。母親代わりだった、あの老母が座っていた椅子だ。
そう、こうこんな椅子を鳴らして編物をしていた。
しかしながら、彼女が座っていた椅子の鳴き声は子守唄のように心地よかったはずだ。
ぎぃこ、ぎぃこ。
音に思い起こされた懐かしい情景は、何故だか目頭が熱くなった。
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173.三色限定
「三色限定でどうぞ。」
数々の色鉛筆と、酷く理解に苦しむ台詞を突きつけられた日番谷は不服そうにむくれた。
「何だよ、それ。」
半キレ気味の日番谷の声に、きょとんとした顔で雛森は返事を返した。
「聞いてないの?」
聞いてないも何も…全く聞いてない。
「ほら、似顔絵コンテスト。誰かの顔描くの。」
そういわれてみると、なんとなくそんな噂話を聞いたことがある気がする。
しかし、このクソ忙しい時期に隊長格まで強制参加とはどういう了見だろうか。
大体、筆ならまだしも色鉛筆って何だ。使い勝手が解りゃしない。何より、日番谷には絵心がなかった。
「……。」
迷いに迷った末に、日番谷は黒と肌色をとった。
「あれ、三色だよ?あと一色は?」
「…イラネ。」
不思議な回答に雛森は首を捻った。
「いーんだよ、二色で。」
そういいきってから、日番谷は待てよと首を捻って赤色を取った。
「…これでいい。」
謎な選択。赤、黒、肌色。
「ねえ、日番谷君誰描くの?」
「言うワケねーだろ、バーカ。」
そんな彼女の手に握られているのは、無くなる前にいち早く確保しておいた銀色と、肌色と、水色だった。
キミの髪の色
キミの肌の色
キミの頬の色
貴方の髪の色
貴方の肌の色
貴方が背負う、大空の色。
三色で人を表すのは、案外難しいことかもしれないと、画用紙に向かった日番谷はふと思った。
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174.自画像
「で、次は自画像ね…。」
あきれてモノが言えないとはまさにこの事なのだろう。憤慨する気力もない。
「たいちょー、これ見てー!巧くないですかぁ?!」
ズイと出された部下の自画像に、思わず溜息。殆ど胸が画面を埋め尽くしている。
自分の特徴をよくわかってらっしゃると賛美の言葉でもかけてやりたい気分だ。
「莫迦だろ、お前。」
勿論、実際に出てくるのはそんな巧い嫌味ではなく、直接的な呆れの言葉ではあるが。
「えー。隊長はー?」
ズイと顔を寄せられ、慌てて画用紙を手で隠す。
「っせぇな、どうでもいいだろ。」
春の日差しが差し込み始めた、ある日の昼休みの息抜き。
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175.なくしたもの
両手に抱えきれないほどの、なくしたもの。
一体何処においてきてしまったのだろうか。
いったい誰に盗まれてしまったのだろうか。
(…無い。)
ふと思ったときには遅かった。
意識したのは何十年ぶりだったろうか。何時しか、彼女から貰った押し花の栞。
確かにあったはずだ。何処かに。何処かでみた。
それでも、栞は見つからなかった。