256.洗濯

 ガタンゴトン。騒々しい音をたてて、洗濯機はまわる。
 便利になったものだ、と婆くさいことを考える。現世に出来たものの原理を利用して作られたそうだ。一枚一枚手で洗っていたのは、そんなに遠い昔の話ではない。

 ガタンゴトン。
 自分も洗われてしまいたい、と思った。

 ガタンゴトン。
 人はいつだって、穢れて、洗われて、また穢れて。


257.掃除

 布団を、干す。

 久しぶりだ、と溜息をつく。休日出勤の続いた今月は、布団乾しすらままならなくて、気持悪くて仕方なかったのだ。
 嬉しくなって、鼻歌を歌う。久しぶりの休みが晴れてくれて、本当によかった。

 シーツを洗濯機につっこみ、使用済みの書類が散乱してしまった床を片付け、掃除機をかける。
 棚の整理は今度にしよう。手をつけると、何日かかるかわかりはしない。

 掃除は、基本的に好きだ。心が洗われる、というと少し大げさだが、日々の言い表しようのないもやもやとしたものの大半は消化できてしまう。
 ふふんと鼻歌を歌いながら掃除を続ける。楽しいものだ。

 そうして、一通り片付け終わり布団がしっかりふんわりになるのを待つ時間に、洗濯機の音を聞きながら思うのだ。

 明日もいいひに、なあれ。


258.カフェ

*会社員パラレル注意


 駅の東口から、右に曲がってスロープをあがり、さらに右に上がってしばらく歩くと道沿いの左側に見える、少し小洒落たちいさなカフェ。
 金曜日の6時40分、一番奥の右側の席は決まって予約が入る。

 腕時計が示す時間は、8時。

 泣きたい気持を抑えて走った。

 妊婦さんが陣痛を起こして助けてたら遅刻しましたなんて、冗談でも笑えない事実を抱えて走る。
 こんな日に限って、ヒールは6センチ。普段3センチ以下の靴しか履かない彼女には、その差は大きかった。
 自己嫌悪と戦いながら走ってたどり着いた店の扉の前で、数秒だけ息を整える。せっかくのフルメイクも、既に崩れかけ。

 意を決して扉を開くと、間抜けな鈴の音がちりんちりんと鳴った。

 店員のいらっしゃいませの声よりもはやくに走らせたその席には、見知らぬ若いカップルが二人座っていた。
 目頭が熱くなる。顔見知りのマスターが、おやとこちらを覗き込む。

「彼氏さんと、会わなかったのかい?」

 なんのことかわからず、眉尻を下げたままマスターと目を合わせた。最上級の情けない顔で。

「つい先ほど、お客さんのことを探しに店を出られたんですけどねえ」

 あ、そうですかと気の無い返事をして店を出た。もう、なんで携帯のひとつぐらい持たないのよ。そんな主義、捨てちゃってよ、莫迦、莫迦。自分を棚にあげた叱責が脳内を飛び交う。
 彼が携帯を持っていないことに、今までどれだけ不便を感じたことか。それなのに当の本人はそんなことを微塵も感じちゃいない。

 カフェがそこまで流行っていないことをいいことに、扉の前で、涙で化粧がこれ以上酷く崩れないようにと、ハンカチを目に当てて静かに泣いた。

「日番谷君の莫迦ぁ」

 漏れた声は当ても無く虚しく響く。はずだった。

「酷い言われようだな。」

 遅刻してきたのはそっちのくせに、と拗ねた声。
 雛森は硬直して、暫く動かなかった。そして静かにハンカチを下ろす。
 そこには、ズボンのポケットに手を突っ込んで不貞腐れている愛しい人の姿があった。

 ぶわっと涙が溢れる。

「莫迦あぁ…!」

 近づいてきた彼に抱きつきたい衝動を抑え、裾を引く。マヌケ面してんなよ、と彼が笑う。
 一時間半待たされたのは彼の方なのに、何故か彼女が慰められている。変な図式である。
 彼はポケットから出した手を少しあそばせて、迷った挙句に彼女の手を取った。中高生のカップルみたいで、ちょっと恥ずかしい。

「あのね、日番谷君、駅でね」

 慌てて遅れた理由を伝えようとする彼女の言葉の上に、彼はかぶせていった。

「俺さ、店ついたの、7時半だったんだよ。」

 唐突の台詞にきょとんとする彼女の目を見て、悪戯っぽく笑った。


「駅で、妊婦助けてさ。」


259.スモーク

 むせ返る煙草の匂い。

 どうも煙を感じると咽てしまう雛森にとって、この煙草の香りというのは最早拷問だった。

「ああ、ごめんね、雛森ちゃん」

 うう、と涙ぐむ雛森に気付いて、慌てて京楽は煙草を消した。
 いいえ、こちらこそごめんなさいと慌てて返した。
 屋根上という休憩室で、雛森は体操座り、京楽はだらっと横になって、二人ぼうっと空を見上げていた。珍しい組み合わせでもない。
 おもむろに、ああもう帰らないと、と京楽はだるそうに体を起した。
 雛森は、眉尻を下げてすこし残念そうにいってらっしゃいと言った。

 京楽が去ってから、それでもずいぶんと長い事雛森は其処に佇んでいた。
 煙草の残り香が、未だ其処に残った。

 嗚呼、煙草の匂いはこんなにも残るのか。改めて知って、少し驚いた。


 彼の残り香は、あんなにもすぐに消えてしまうのに。


 そう思った途端、自分が恥ずかしくなってぷるぷると首を振った。もう殆どやることなどない仕事にもどろう。
 日が傾き初めていた。きゅんと胸を締め付けられた感覚だけが、なぜか酷く虚しく浮いていた。


260.ビート

 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン

 一定のビートが刻まれる

 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン

 めまいがする。視界がかすむ。

 ドクン。


 君の唇まで、あと3センチ。










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